③二子玉から川崎まで(50~65km)
二子玉川周辺で環八にお別れして、
多摩川沿いに川崎を目指します。
〇心が折れかける
二子玉川を少し超えたところ50km、ちょうど半分が過ぎました。
時刻はおよそ深夜1時30分、スタートから8時間が経過しています。
実は40kmが過ぎたあたりからは、ずっと胃が痛くて全然走れていません。
胃が痛いから走れない、でも歩いてるだけでも喉が渇くから何か飲む、
そうするとまた胃が重くなって走れない、みたいな状況が続いていました。
さらに、左足のマメも悪化します。
くっきりはっきり、プチっと皮膚が破けた感覚がしました。
てか、まだ半分とかマジですか?もういいよーーー!!!
疲れたもーーー!!!いいじゃん、半分いったからもういいじゃんもー!!!
胃も痛いし、マメも痛いし、筋肉はまだ元気だからこの二つさえなければ絶対普通に走れるんだからさーーー!!!
実質走ったってことでもういいじゃんよー!!!
ってな具合に心が折れかけているときのツイートがこちら。
私はこのとき、本当に何も考えずにツイートしていたのですが
フォロワーさんが、こんなツイートにすぐに応援のリプを飛ばしていただきました。
応援の力ってすごいですね。
本当に元気になったんです。
不思議と、胃の痛みもマメの痛みもどこかに消えていました。
リプライ自体はシンプルな内容だったのですが、
弱っていた私の心に響くには十二分でした。
私は、直接的な応援には否定的な方で、逆に負担になるんじゃないのか、
プレッシャーになっちゃうかもしれないから・・・なんて考えて応援はそこそこにしようとする傾向があります。
これからは、素直に頑張っている人を応援してあげよう、力になってあげよう、そう考え方が変わった瞬間でした。
また、皆さんからの応援には今後の道中でも
ずいぶんと助けられることとなります。
〇府中街道は走りにくい
元気をもらった私は、意気揚々と多摩川を渡り
府中街道沿いに川崎を目指します。
星空を眺めて、月が三日月だったことに気付きます。
よく考えたら東側に進むのは初めてで、その関係でしょうか。
あと、オリオン座もいつの間にか見えなくなっていました。
いずれにせよ、星空を見るような余裕ができたということでしょう。
ただし、府中街道は走りにくかったです。
道幅は狭く、舗装も剥げていたり、ガードレールも無かったり、
それに街頭が少なくちょっと暗めでした。
車も時々走っていて、気を使う場面も多かったです。
筋肉がそろそろ限界に近づいていましたが、
まだまだ心は前のめりで進むことができ、無事川崎周辺までたどり着きました。
〇犬
気付けば5時ごろになっていました。
始発電車が動き始める、駅の周りにはポツポツと人が見えるようになってきました。
ここで、素敵な出会いをします。
私が道を進んでいると前方にお散歩中のゴールデンレトリーバーが。
やったらこっちをチラチラ見て落ち着かない様子です。
生粋の犬派の私は、追い抜かす際にチラリと犬を見ます。
目と目があいます。
・・・瞬間、私の足はとまり、わたしは両手でその子をワシワシと撫でていました。
飼い主様曰く、とても人懐っこいとのこと。可愛いのう・・・。
ものすごく癒されました。
〇外国人に道を聞かれる
ちょうど品川水族館のあたりを通ったあたり、
横断歩道を歩いていると、チャリを押してるラテン系の兄ちゃんに声をかけられます。
私は、とっさに追いはぎか何かと思いウエストポーチに手をかけて警戒態勢です。
「京急蒲田ドコデスカ?」
「えっと・・・この道をずっと行けばありますよ」
(そこ通ったよ!!!さっき!!!そしてそこそこ遠いよ!!!)
「・・・んー、雑色ドコデスカ?」
「そこも、この道の先ですね」
(そこも通ったよ!!!さっき!!!そしてさらに遠くなったよ!!!)
「・・・ん???コノ場所ナンテイイマスカ?」
「えーっと、(スマホで確認して)大森海岸ですね」
そう答えると、お礼を言って兄ちゃんは去っていきました。
少し遠くにお友達が地べたに座っていてその人と何やら話していたようです。
最初、警戒しちゃってごめんなさい。困りごとが解決していればいいのですが・・・。
(遠くてぶれてるのでまったくわかりませんが、赤い丸に2人の兄ちゃんが写っています)
〇夜明け
兄ちゃんたちと話す少し前には、夜が明けていました。
別に、特別な場所でも何でもないのですが、一晩中ウロチョロしていたことを思うと、
なんだか、ただ太陽が昇っただけなのに心に響くものがありました。
真っ暗から、濃紺へ、東の空が赤く焼けて、目に分かるくらいのスピードで世界が明るくなってくる。いい景色です。
次:
④品川からお台場・豊洲まで(75~90km)